« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »

2008年1月

2008年1月28日 (月)

肝炎検査

C型肝炎ウィルス検査をお受けください (1月17日、政府広報)

数年前に「血液製剤を投与した可能性のある病院」の名前が発表されて以来、漠然とした不安を抱えつつ、でもどこも何ともないし・・・とうやむやになっていたのだが、今回の広報を見て「フィブリノゲン製剤納入先リスト」に同じ病院名を見つけ、やっぱり検査を受けようと決意、先日近くの医院で採血してもらった。

昭和58年に上の子を帝王切開で出産したとき、大量出血したのだ。輸血の対象になるぐらいの量だとドクターは言っていた。おかげで産後はひどい貧血になり、授乳に起きるのも辛いほどで、貧血治療のために退院は延び、微熱もずっと続いた。退院してからもなかなか体調が戻らなかった。

血友病患者のHIV感染が大きな事件として取り上げられ、病院のリストが出た時に、このことを思い出した。もしかして私、止血剤を投与されていないか・・・? 




Photo_2 今日、検査の結果が出た。

結果は陰性。感染していなかった。はぁ~よかった。

長年の不安が解消した。

でも結果が出るまでの数日は、もし感染していたら、もしキャリアだったら、もし病院にカルテが残っていなかったら、もし母子感染していたら・・・etc.、いろんな心配が頭の中を渦巻いて、何とも気が重かった。

平成6年以前にフィブリノゲン製剤の投与を受けた方などは肝炎ウイルスに感染している可能性が一般の方より高いと考えられます。 (1/17政府広報より)

フィブリノゲン製剤の投与を受けた可能性
1)妊娠中または出産時に大量の出血があった
2)大量に出血するような手術を受けた
3)食道静脈瘤の破裂、消化器系疾患、外傷などにより大量の出血があった
4)がん、白血病、肝疾患などの病気で「血が止まりにくい」と指摘を受けた
5)特殊な腎結石・胆石除去法(結石をフィブリン塊に包埋して取り除く方法)、気胸での胸膜接着、腱・骨折片などの接着、血が止まりにくい部分の止血などの治療を受けた

検査は保健所もしくは保健所委託の医療機関で、基本的に「無料」で受けられる。横浜市はB型C型肝炎検査で、無料だった(普段の健康診査なら有料)。

| | コメント (3) | トラックバック (0)

千秋楽

昨日は千秋楽、横綱同士の大一番とあって、みんな朝から相撲の話題で盛り上がっていた。

おやつを食べ終わると普段なら部屋に引き上げて一休みするかたも多いのに、昨日は食堂に居残る人が多かった。5時ごろになると、「起こして」コールと「トイレ」コールの連続。いつもとちょっと違う時間帯に混雑のピークが来た。普段は夕食ギリギリまで寝ている人も早々に起き出してTVの前に陣取る。みんな、ほんとにお相撲が好き。

朝青龍と白鵬が登場すると、職員も面会者もちょうどお茶のヤカンを運んできた厨房のスタッフも、みんな大型TVを見上げ・・・待つこと数分、白鵬が朝青龍を投げ飛ばした瞬間には歓声と拍手が起こった。この数分間、職員は誰も仕事していなかった(爆)。

こうやってみんな揃って一台のTVを見るってのも、なかなかいいもんだ。王監督のWBC以来じゃないだろうか。

それにしても、すごい気迫だったね~。



今日、腰の牽引に整形外科に行くと、隣でウォーターベッドに揺られながらおばあちゃん二人がやっぱりこの話で盛り上がっていた。話はそこからマラソンの話になり、その次はなんとサッカーの話に発展、「チリは強かったね~。まだまだ岡田ジャパンは駄目ね」なぁんて言っている。おばあちゃんたちの口から「岡田ジャパン」なんて言葉を聞くとは思いもしなかった私は、かなりびっくりした。このおばあちゃんたち、明日はきっとハンドボールも見るんだろうな~。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2008年1月22日 (火)

退所

前に記事にもした(11/22 「苦労話」)トラブルメーカーのMさん(90代女性)があさって退所することになった。行き先は近くの老健。「老健渡り鳥」だ。

どうにもMさんとソリの合わなかった職員はヤレヤレ、やっと・・・という顔をしていたが、私は結構Mさんのことが好きだっただけにちょっと寂しい。「夜のMさんを知らないからよ。昼間とは違ってそりゃもう大変なんだから」らしいが、もうあの「手」から始まる一連の話を聞けないんだな・・・。渡り鳥ならば、いつかまた舞い戻ってこられるまで、がんばってここで働いていようかな、なんて。

Mさんには退所のことは内緒だ。「事前に言うと不穏になるから」だそうで、だから私はMさんに会える最後の日、さよならも言えなかった。心の中で「お元気で」と言った。


先月退所されたKさん(80代男性)は、車椅子で暮らせるようにと自宅を改修しての退所。週数回デイサービスに通ってこられるとはいえフロアとはお別れなので、最後の日に挨拶に行くと泣かれた。職員がてんでばらばらに挨拶に行くものだから、その度Kさんは顔をくしゃくしゃにして泣いた。普段は居室にこもりきりで、静かにテレビを見たり、麻痺側で字を書く練習をしたりして過ごす、寡黙な人だった・・・。

そんなKさんがデイサービスに来ているところを、先日偶然に目撃したら・・・なんと、他の人たちと輪になって風船バレーをしているじゃあーりませんか。それも罰ゲームでちょんまげのヅラをかぶって! フロアにいるころは、誘っても風船バレーなどやらなかったのに、今じゃにこやかに笑ったりして!

「Kさ~ん!」と声をかけて手を振ると、ニコニコして手を振り返してくれた。なんという変わりよう・・・。

やっぱりお家に帰ると違うのかな。フロアでは無理というか我慢していることも多かったのかな。何かKさんを閉じこもらせるような雰囲気がフロアにはあったのかな。あんまりレクとかやる時間もなかったものね、いつも職員はせかせかしていて・・・などといろんなことを考えてしまった。でもまぁ今、Kさんが楽しそうだからいいか。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

老健での投薬

20日(日)の NHKスペシャル 「認知症 なぜ見過ごされるのか~医療体制を問う」、残念ながら後半の30分ほどしか見られなかった。(そのうち再放送、あるかな?)

私が見た部分で印象的だったのが、施設でなんとかアリセプトを使えないかと頑張る老健のドクター。事務方にアリセプトの購入を談判するが・・・

アリセプトはアルツハイマー病の進行を遅らせる効果があるとされている薬だが、値段が高い。入所者の薬などの費用をすべて負担している老健は、それでなくても介護報酬の減る中、心臓や高血圧、糖尿病などの治療薬を用意するのが精一杯で、とてもアリセプトのような高価な薬は、買いたくても買えないのが現状という。

アリセプトを使えば効果があると思っていても、施設の懐具合もわかるだけにジレンマを抱えるドクター・・・。

舛添大臣は、「いずれは介護保険と医療保険を一本化させられないかということも考えてます」というようなことを言っていたが・・・。

今の制度では、老健の財政状態いかんで適切な治療や投薬が受けられたり受けられなかったりするということにならないか。なんで老健は高価な薬であっても報酬請求できないのか。老健が医療行為が必要な人の入所を敬遠しがちという話も十分頷ける。

在宅で看てアリセプト処方してもらうか、施設で面倒見てもらうか。究極の選択・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月15日 (火)

私だったかもしれない

2週間ほど前に入所したOさんは小さな小さなおばあさんだ。痩せて小柄な上に背骨は大きく曲がり、手足の拘縮も進んでいる。長時間座っていられないので、毎食事の寸前に食堂に誘導し、終われば即、臥床していただく。骨粗鬆症もある。


先週の金曜日午前、金曜日は入浴で職員はみな浴場に出払い、フロアにはリーダーと派遣のAさんしか残っていなかった。

Oさんの入浴の順番が来たので、リーダーの指示でAさんがOさんを起こしに行った。AさんがOさんを車椅子に移乗しようとした、そのとき・・・

「痛~い!」

小さな身体のどこからそんな声が出るのかと思うほどの大声でAさんが叫んだという。

「痛い痛い! 膝が痛い!」

びっくりして飛んできたリーダーとAさんは何がなんだかわからず、とりあえずベッドに戻し、入浴は止めにしてナースを呼んだ。


ドクターが診断し、レントゲンを撮ったが、足が拘縮しているのでうまく写らなかったそうだ。ちょっと身体に触れただけでも痛がるので、おそらく骨折しているのではないかと言う。ギブスを作ろうとしたが、骨が擦れて褥瘡になりそうなので弾性包帯をきつく巻いて固定してある。鎮痛剤で痛みはやわらいではいるが、体位変換やオムツ交換の際にはひどく痛がる。


派遣のAさんは未経験で、ここに来てまだひと月足らず。入浴パートが辞めたこともあってその日は入浴に回る職員が一人増えた上に入所者の受け入れもあり、フロアではバタバタしていた。入所手続きをやったことのないAさんに代わり、私がフロアに残ろうかと申し出たが、何とかなるだろうということで交代せず、私は割り振られたとおりにお風呂場に行った。後でリーダーは「自分がOさんのところに行けばよかった」と悔やんでいた。

「普通にトランスしたんです。どこにもぶつけてません。なのに、急に痛い痛いと言われて・・・」 Aさんは涙を浮かべ、謝罪の言葉を繰り返していた。


身の置き所のないほど萎れているAさんに何と声をかけたらいいのか・・・。

Aさんのトランスの仕方が悪かったのだろう。でももしかしたらOさんの膝は今にも壊れる寸前で、運悪く当たったのがAさんだったのかもしれないという気もする。フロアに職員がたった二人という状況が引き起こした事故とも思えるし、老健にふさわしくない状態の人が入所していること自体にも問題がありそうだ。

もしあの時、私がAさんと交代していたら・・・事故を起こしたのは私だったかもしれない。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

2008年1月 9日 (水)

その一言で頑張れる

一週間ぶりに出勤したら、いつも元気なKさん(80代女性)が発熱して寝込んでいた。

そういえば年末からグズグズ言ってたな。まだ治らないんだ・・・。ご機嫌伺いに部屋を訪ねると、「ああアンタ。アンタ、いつもどこにいるの? ちっとも姿が見えないから辞めちゃったかと思ったよ」

「そんなぁ、黙って辞めたりしませんよ。ちょっとお休みをもらってました。私はパートだから毎日は来てないの」

「そっか、パートかぁ。いや、他の人にオムツ換えてもらったらどうにも気持ち悪くてね」

普段は自立しているKさん、慣れないオムツはさぞ不快なことだろう。

「オムツ、慣れないから気持ち悪いでしょ。早くトイレに行けるようになるといいですね」

「ちょっとアンタ、やり直してよ」

オムツ自体に慣れてないのだから、誰がやっても気持ち悪いに変わりないだろうにと思いながら、ちょっとパッドの位置をずらした。

「ああ良くなったわ。ありがと。お風呂の時、アンタのやり方が丁寧だったから、きっとオムツも丁寧だと思ってさ。○○さんは乱暴でいけないね。そっか、パートかぁ。出来ることならとっ捕まえときたいよ」

うわ~ん、嬉しいことを言ってくれる。Kさん、ありがとう~。

その一言で、今年もまた頑張ろうという気になる。よっしゃ~~!

| | コメント (11) | トラックバック (0)

実家が一番!

米寿のお祝いのあと、私は子供たちと実家へ。

去年の夏引っ越したばかりのマンションだから実家というには馴染まないが、やっぱり親元へ帰るとホッとする。体中の緊張が緩んでいくようだ。やっぱりあっちでは気を張っていたんだな~と。母に「お疲れさんやったね~」と言われると、思わず泣きそうになる。

0810317_2 翌日は毎年行く近場の温泉で、弟家族も合流して一泊。

去年は父が体調を崩したので、もしかしたら次のお正月はないかもしれない、もう恒例の温泉行きは無理だろうと思っていた。こうしてみんな揃って温泉に入り、美味しい料理とお酒を味わい、大阪弁全開で心置きなくしゃべれるというのは何とシアワセなことだろう。今年はつくづくそう思った。

08103_3 父は酸素ボンベを携帯していたが、寝るとき以外はほとんど吸っていなかった。「医者にはナイショやで」と言いながら。 寝るときはフトンの下に座布団を敷いて背上げしていた。

秋ごろまでは電話の声も苦しそうだったが、今は見違えるように元気になった。よかったよかった。今では以前のように車の運転もし、電車に乗って梅田のデパートにも行ったらしい。ようやるわ。ラッシュ時でなくてもあんな雑踏の中によく出かけていったものだ。自分のペースで歩けないし、イラチな大阪人のこと、いつ突き飛ばされるかもしれへんのに。あんまり母をハラハラさせんといて! 油断大敵だよ~!

来年も再来年もこうやってみんな元気で新年を迎えられますように。私と弟のしゃべくり漫才をみんなでおなか抱えて笑い転げられますように。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月 8日 (火)

米寿祝

P1000904_6 正月2日は義父の米寿のお祝いだった。

琵琶湖畔の某ホテル和食レストランにて、子供、孫、ひ孫まで総勢12人が集まり、両親の長寿を祝った。

珍しいことに義父と義母はどちらも誕生日が1月5日。義父は88歳、義母は84歳になった。2人ともあちこち具合の悪いところがあって医者通いをしてはいるものの、大きな病気もせず、介護が必要なこともなく、この年まで長生き出来ていることに感謝したい。

子供や孫が持ち寄ったお祝いの品は、パジャマ、カーディガン、マフラーetc...  うちはお揃いのちゃんちゃんこと鶴の螺鈿細工の漆の額、それから耳が少し遠いのに補聴器を嫌がる義父のために助聴器を贈った。この助聴器なるもの、利用者さんが重宝して使っていたので義父にもと思って買ったのだが、はたして嫌がらずに使ってくれるかな?

義父は80を過ぎてからなんとパソコンにチャレンジ、文字入力を覚えた。そして「自分史」をWordで書きあげた。メールの送受信も覚えた。私とはメル友だ。さすがに最近はしんどいと言ってはいるが、このチャレンジ精神があればこそ。たいしたものだ。この調子なら、まだまだ行けそうとも思うが・・・

元日の朝のこと、義父がお寺の新年の集まりに行くというので義母が着替えを手伝おうとしたら、「ワシひとりで出来る」と言って自分の部屋へ行った。ところが5分もたたないうちに、「はよ来て手伝わんかい!」。義母が「さっき、来んでええって言うたやないの!」と言い返す。「そんなこと言うてない。ワシひとりで出来るかいな。何がどこにあるかわからへんのに!」。

義母はプリプリ。「いつもこの調子やねんよ。たった今、自分が言うたこと忘れてんねん。なんか最近、怒りっぽぉなったわ。何言うても喧嘩腰で、きつうきつう当たるねん。ちょっとボケてきてるんやろか?」

「さあ~。おじいちゃん、家にこもり気味やし、耳も遠いし、身体も思うように動かへんし、イライラしてるんかも。デイサービスでも行ってみます?」

「デイサービスみたいなもん、ワシは絶対行かへん、て。あんまりみんなが勧めるもんやから、こないだとうとうどんなもんか見学に行かはってんけど、車運転して行ったもんやさかい、運転できるようなお元気な人はちょっと、、、て断られてしもて・・・」

そらそうやわな^^;

でも言ったことをすぐに忘れるのはちょっと気になる。義母には、「よ~く観察しといて。気になることがあったら教えてね」と言っておいたが、さて・・・。ちょっと来てるかもしれない。「あんなにきつう言われ通しやったら、私の方が先に逝くかもしれんわ」。義母も結構マイッているようだ。義母には上手に気分転換してもらうこととして・・・そろそろ介護認定を受けた方がいいかもしれないな・・・。頼むからボケんといてね、おじいちゃん!

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2008年1月 7日 (月)

壁のない家

大晦日の早朝、私は新幹線に飛び乗り、夫の実家へと向かった。夫の実家は琵琶湖の湖東、近江平野の農村地帯、ノンビリした田舎町にある。

いつもは年が明けてから帰るのだが、今回は年末年始に休めることもあり、私もたまには大掃除ぐらい手伝おうと殊勝な心がけで出かけたわけだ。

快晴の富士山を見ながらの東海道は、単調だけれど明るくて気持ちがいい。名古屋あたりまでは。
名古屋を過ぎ、岐阜羽島を過ぎる頃になるとだんだん雲行きが怪しくなる。米原に着くともう北陸特有のどんよりとした空模様だ。なんかもう、これが新幹線の止まる駅かいと突っ込みたくなるような米原駅で下りて乗り換えの電車を待っていると、夫の実家に近づいているということも相まってだんだん気分が滅入ってくる。

そんな気分のまま、たどり着く先はといえば築百年はゆうに超えているだろう古民家。もとは農家だからだだっ広い。蔵まである。都会の家なら3,4軒は建ちそうだ。座敷わらしちゃんでもいればいいのだが、ここに老親2人きりで長年住んでいる。

いつも行くと感じた埃っぽさ。一日で靴下が真っ黒になる。これを何とかしたかった。

着くなり、義母に掃除機を借りて掃除を始めた。縁側をず~~~っと奥まで行って、そこから始めた。農家の家の造りは、真ん中に仏間や座敷、居間など和室がいくつかあり、襖を取っ払うと大広間になる。その周りを縁側がぐるっと取り巻いていて、外との境はガラス戸だ。

今回気づいたのだが、この家には壁がない。西側の一部だけが壁だが、残る三方向は全部ガラス。昔は濡れ縁で、大勢がどこからでも出入りできたのだろう。部屋の仕切りも襖かガラス障子。道理で寒いわけだ。私たちが寝泊りする離れなんて、襖の上は欄間(らんま)になっているから風がスースー、いくら暖房してもおっつかない。急場凌ぎに夫が阪急デパートの包装紙を欄間に貼り付けて(爆)、やっと人心地つく始末。

1時間半、ようやく部屋の端まで来た。これでも義父の部屋と義母の部屋は遠慮したから、そこもやっていれば2時間か。旧式のデカイだけで使いづらい掃除機は目詰まりしてしまった。雑巾がけは夫の仕事。一人じゃとてもじゃないが終わらない。ふぅ~っ。

「そんな全部やらんでもいいのに。いつもはこことこことこことここ、4部屋だけやってんねん。台所もモップでサァ~っと」

「モップはあっちのゴミをこっちへ動かしてるだけやン。やっぱり掃除機をかけないと綺麗になりませんよ、おかあさん」

ズケズケとよう言うわと思われただろうが、かまうもんか。いったい、この前掃除機をかけたのはいつやねん?

老親はもちろんのこと、まだ体力のある私の年代でももうこの家を維持するのは無理だろうと実感し、テッテーテキに気分が滅入ってしまった。この日はまた格別に寒く、ピューピュー北風が身に沁みた。

旧家だか先祖代々だか知らんけど、現役で生きてる人間の手に負えない家を維持する意味はどこにあるのか。

マジでさぁ、いったいこれから先、どうすんのよ~~~?



新年おめでとうございます。今年もボチボチとマイペースで行きますので、よろしかったらお付き合いください。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

« 2007年12月 | トップページ | 2008年2月 »